テレビ見てないからよく知らなけど。
休みの日は夕方に起きて焼きそば食って寝る。結局なんか趣味をやってみても無理しているだけ。金もかかるしだったら「焼きそば食って寝る」が最強の選択かもしれない。ジェラードンのアネッキー・ヒマーズ 「無理すんな」を最近知ったが俺の日常そのままじゃん感がすごい。
無理して趣味なんかする必要なかったわ。
私はコントに日常の中の非日常性なんか求めて無いし、ひねりも別に求めてない。別にあってもいいけど。日常性だけで十分なんだ。
やりたいことやろうの定義は「好きに生きていいって意味」ではなくて「ラーメンにニンニクいれる」だけとか、すごい。
そうだ私は自由に生きたいんだけど、それってラーメンにニンニクいれてやると今夜は決めているんだよ!くらいの自由が欲しいだけ。
…というかそれが日常というか現実。
タイヤ・パンク↓
そーいえば、嫌なことだらけの一週間も、金曜ロードショーさえ見れれば俺は生きていける!と若い頃に思っていたことがあったわ。
金曜ロードショーが大河ドラマやちびまる子ちゃんやサザエさんになることもあったが、基本的に同じだ。
これが俺の日常だったわ。現代の日曜日もなぜかちびまる子ちゃんやサザエさんは無くならない。
金曜ロードショーとちびまる子とサザエと大河ドラマとかは、
なにか私たちに癒やしを提供してくれていいるのか大事な儀式なのか意味はないけど放映しなきゃいけないものなのか?
無くなったら無くなったで別に私たちは生きていけるけど、代わりになにか無いといけないのではないか??
なんの根拠もないし最近は別にろくに見てないけどそんなことをふと思った。
…おまけだが、ロバート秋山も日常を昇華したお笑い芸人だ。中川家とかもそうだ。
サンドイッチマンもいいけど、あれは少し非日常性を盛り込みすぎてやり過ぎ感が出てくる。
日常からズレすぎてはだめ。このへんって、なんかうまく言語化しにくい。。
(ロバート秋山の)藤木みず江(伝説の寮母)一肌脱いで奮闘する日本の母の姿↓
後半はなんかおかしいけど、あれも結局は日常の中の「心のざわめき」を脚本に盛り込むAVの真似なわけで、何処まで行っても日常である。
日常の追求だけで”可笑しい”笑いがすごい。
【秋山歌謡祭2024】ロバート秋山が歌い続ける音楽番組
日常の気になる。都がやっているか区がやっているか、”ふつうに気になる”ことを歌にして、それを西川貴教と歌うとか感動すぎる。都がやっている東京芸術劇場、区がやっている浅草公会堂、都がやっている葛西臨海水族園、区がやっている新宿コズミックセンター…電車の中で知識ひけらかしたいおっさんが語っているかのような”やること無いときにふと疑問に思って調べている俺”が調べているようなことがすべてここにある。
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