「おばけ」と「悪魔」って何が違うのか?みたいなことを言われて、説明がしんどいと思ったので、うまい説明を考えておこうと思い記事を書いています。ホラー映画を見ている人でも、このへんの区別がついていないらしいのだが、そんなことってあるの?(ふつうにあるらしい)
「おばけ」とは?
インターネットで「おばけ」という言葉を調べると「幽霊や妖怪などの得体のしれない存在」と描かれていますが、これは厳密には間違っていると私は考えます。遊園地にある「おばけ屋敷」には幽霊も妖怪も詰め込まれているので、後付けでそうなったのではないでしょうか?なぜ私はこのように思うのか?
…結論から言えば、妖怪は基本的に化けませんので、そもそも妖怪はおばけではありません。妖怪は人間の周りに奇怪なものすべてに対する総称です。神かもしれませんし、昔からそこにいた存在なのかもしれません。ただし日本に限らず原始的な多神教の場合、死者が神にも妖怪にもなり得えますし例外はいくつでもあるので「おばけ」に一括りにすることも間違ってはないないのかもしれません。でも、ちょっとそれだと曖昧すぎます。だから、おばけとは「死んだ人が霊(幽霊)になって現れたもの」に限定して使うべきだと私は考えます。
ちなみに「おばけ」という言葉がいつからあるのかわかりませんが、お化け=変化した存在なので読んで字の如くAだったものがBに変化して「化けて出たもの」で正体が見えたなにかですが、人間や動物の霊のことを指します。それらと人間がいる前から存在している神や物の怪をひっくるめて「おばけ」と言うなんて、昔から存在している方々に失礼ではありませんか?(物の怪や妖怪という言い方も人間の視点で表現されたものなので、あまり言葉として使わないほうがいいのかもしれません)
余談ですが、おばけと言うと西洋であれば白いシーツを被った霊のことをいいますが、あれは目に見えないものにシーツを被せて可視化したもので中身は透明=霊が変化ものではなく霊そのもの、だから厳密には「おばけ」ではないのでは?と思います。
「悪魔」とは?
日本における妖怪みたいなものですが、キリスト教においては神や天使に敵対している存在です。キリスト教以外の宗教の神様や物の怪のことを指します。
キリスト教においては、悪魔と取引したり魅入られて悪いことをすることは、聖書の信仰に背くことになるので関わってはいけない存在です。ちなみに、悪魔は基本的に罪のない人を苦しめたりしません。人間が悪魔と関わるかどうか自分の意志で決めるというルールが基本的にあります。
悪の道へ進むかどうかは聖書でアダムが悪魔(サタン=ルシファ)に唆され知恵の実を食べて罪を負い楽園を神に追われることになったのもアダムの意志。サタンはそそのかしただけです。
だから、ホラー映画で悪魔にやられたとか邪悪な道に堕ちたという描写がありますが、人間が本人の意志でそうなったのであって、凶悪な悪魔のせいで人間が殺されたり悲惨な目にあったわけではない。悪魔に魂を自分の意志で売ったからこそ悪魔にやられるのであって、神への信仰を守っていれば=人の道を踏み外していないのであれば、悪魔にやられることはない。
とはいえ例外はいくらでもある
…とはいえ例外はいくらでもあります。
・そもそもキリスト教の視点ではない映画…キリスト教の文化圏から外れている映画や、どんな文化圏の人でも分かるように作られることが多くなっている。また、あきらかにキリスト教をベースにした話なのに、監督が無宗教を意識した脚本になってしまう場合がある(だいたい駄作になる気がする)。
・ホラーアクションの場合は襲ってこないと話にならない…自発的に悪魔が人間を襲ってこないと話になりません。信仰とかへったくれもなく人間を襲ってきます。そうなると、悪魔はただの化け物でしかありませんが。。。
でも、悪魔は基本的にキリスト教ベースのものであって、物の怪や怪物とは区別されるものではないでしょうか?
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