まあ別に、家とシステムは対義語ではないのですが…。
日本人は企業を家と考える人が多いようです。
いや、多かった…すでに過去形かもしれません。
ちなみに、私は「家」が嫌いであり「企業」は利益を上げるシステムに過ぎないと思っています。
求人情報に「アットホームな職場です」なんて書かれていることがありますが、
人と人とのぬくもりが感じられる居心地のいい空間だと思っている節がある…誰しもよりかかれる大樹を探す小鳥なのかもしれません。
もちろん、それはそれで結構だし、いごこちのよくない場所を望む人がいるはずありません…
大学を卒業して入社したら、そこで一生涯汗をかいて働いて働き、最後は退職金と花束を貰って去る。
揺り籠から墓場まで…じゃないですが人生の多くをそこで過ごす大きなお家みたいなものかもしれません…
ただ…未だに、そういうものだと考えている人が少なからずいるということに、私としては驚きをかくせないです。
従業員にとって福利厚生サービスを充実させることで更に従業員の幸せを厚くする…とてもいいと思います。
そういった行いはすべて営利のためにあるのだ!と別に叫びたいわけではありません…が、
やはり、企業とくに株式会社は誰のために有るのか?と問われれば、基本的に「株主」である投資家にあると言わざるを得ない。
そういう意味で企業は、お金を儲けるためのシステム=営利団体であるという前提がまず何よりも先立つと思います。
自分が登記簿を出して法人を作ったときも家をつくったのではなくて…ただの営利団体の法人格を得たに過ぎない。
営利組織というシステム/モジュールを組み込んだに過ぎない。
それに家という概念をもち込むのは構わないが、その意味や意義は今一度、考えたほうがいい。
とくに家だと思いこんでいる人はとくに。
トヨタという企業は「使えないやつ」もクビを切らないというスタンスだったようですが、
それも難しい…と言わざるを得ない時代になっているとのこと。
だが、そんな家族の幻想を日本の大企業が持っているということに違和感を憶えざるを得ない。
トヨタがトヨタである理由は家だったからというわけでもないだろう。
失われていくものを…どうして追いかけるのだろうか?
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