プログラミングのすすめ。クリエイティビティに重要なたった1つのこと。

徒然草2.0

クリエイティビティとは

クリエイティビティとは、新しいものを生み出す”創造力”のことだ。

この世には二種類の人間がいる

モノをつくるということが、当たり前にできている人には、至極とても簡単なことかもしれない。しかし、モノがつくれない人が、制作にいくら時間をかけても、何もできないことさえ、ザラにある。

でき上がるモノの品質はともかく、どんなに優れたクリエイターでも、ある重要なたった1つのことが欠けると、モノが作れなくなるから不思議である。後でも述べるが、これはクリエイティビティを持っている人も意外に無自覚な人がいる

本題に入ろう。

この世には、二種類の人間しかいない。

それは、モノが作れる人と、モノが作れない人だ。

幼稚園児はみんなクリエイター

幼稚園児は、モノ作りが大人よりも、ある意味で上手い。折紙で何かをつくったり、画用紙に絵を書いたり、日頃から行っている。

大人より何かを生み出す力に幼稚園児は長けていると私は考えている。

大人に何か作る手段を与えても、何も作り出せない人もいるからだが子供はクオリティはともかくなにがしかを作れてしまう。

例えば、私が生業にしているプログラミングは何かを作り出す能力だと考えているが、プログラミング技術を覚えても、何もつくれないのは能力の無さによる場合もあるが、モノづくりの情熱が欠けていたり、モノづくりをすることの意味を失っていることも少なくない。

幼稚園児の時はクリエイターだったはずなのに、大人になるにつれてモノづくりの精神を失っていくのだ。

そんな大人と園児の決定的な違いは、一体なんだろうか?

それは、

クリエイティビティ=信念

ここまで話題を引き伸ばしておいて「なーんだ」と思う人もいるかもしれないけれど、モノづくりには信念が必要だというのが私の考えだ。

実は信念が無くてもモノづくりができてしまう人もいる。

でも、世の中を見ていると「信念」がないから、作れない人も多いように見受けられる。

信念は誰でも持っている

幼稚園児は信念があるから、モノづくりができるのか?まあ実はちょっとだけ違うかもしれない。

他人の評価よりも自分の評価を大切にしているので、幼稚園児はモノづくりができる。

失敗したらどうしようとか、他人に笑われたりしたらどうしようとか、そんなことは一切合切みじんも考えてないので、大人よりクリエイティビティに長けているというわけ。まあでも、これは「うまくいくはずだ」という信念が子供は大人よりも強いと言っても、間違いではないだろう。失敗が成功の上位にくることがないから頑張れるし、失敗が分かった時点で泣き出したりする。年をとっていくと、クリエイティビティを阻害する我(ガ)が芽生えてくることが多くの人に起こる。もともと、クリエイティビティの信念は誰もが持っていたのに、どこかで失ってしまようである。

おそらく多くの人が以下のような我がむくむくと生まれて、クリエイティビティの信念より大きな妄想となれば、その人は何もモノがつくれなくなってしまう。

だれだって何かを成そうとする時に以下のことを思ったことがあるのではないだろうか?

  • 他人より自分はうまく作れない。
  • 他人に笑われたくない。
  • 他人に見せるのは恥ずかしい。
  • 他人に迷惑をかけることは避けなければならない。
  • そもそも、作っても誰にも相手にされないのではないか。
  • そもそも、作ることが楽しくない。
  • そもそも、作るのがめんどう。
  • 作ることに、意味を見いだせない。
  • 買ったほうが、安いし早い。
  • 作りたい気持ちはあるが、時間がとれない。
  • 壮大な計画があるが、まだ実現する時期ではない。
  • 壮大な計画を推進しているが、完成の目処は立っていない。
  • 作りたいが、自分には作る能力がない。

人間は年をとるに連れて、できない理由を探すのがうまくなりがちではないだろうか。

そうして、クリエイティビティに結びつく信念が錆びついていく。

自分が作れない理由にさえ気づかなくなっていく。

完璧さを求めるから作れないんだと言う人もいるが、これには一理あると思う。でも、もっと根本的な部分が欠けている人も少なくない。

なぜ自分が作らないといけないのか分からない、なぜ自分が作れないのか分からない。ものが作れない人はそう言う。自分が筆を折った理由にすら気づかない人がいる。

クリエイタも信念を失うことがある

もともとモノを作っていた人が、モノ作りする理由を失うこともある。なぜ自分はつくれなくなったのか?

個別具体的な理由については、クリエイタが各々向き合うしかないが、この答えを単刀直入に言うのは簡単で「信念がなんらかの理由で折れたから」だろう。作る理由を失うことも、信念が折れたとここでは表現したい。

クリエイタの場合はそれをスランプと呼び、脱出するまで、いくばくかの時間を擁することもある。いくら時間が経過しても、クリエイティビティが戻ってこなかったら、クリエイタを辞めるしかない。

言うは易し行うは難し

私がここで長々と説明したいのは、このクリエイタの「信念」っていうのはとても厄介な概念だということ。

そして、この信念を信念と自覚していない人も少なくない。これはモノづくりができるかどうかはあまり関係がない。私がこれまで話した内容を、まったくわからないと言う人もいれば、言いたいことはよくわかるという人もいるだろう。

分かっているけど「で、だから何なの?」って思われてしまうかもしれない。

クリエイティビティな信念を作れ!

作り出すための手段の前に必要なものがある。言わずもがな作る「信念」である。万人に必要なものではないと言う人もいるかもしれないが、私はこれからの時代に必要な「考え方」で英語で言えば「マインド」(?)だと思っている。

私の考えが正しければ、このクリエイティビティなマインドは意識的に作り出すものだということだ。そういうことについて、これからも広く考えていきたい。

※プログラミング学習をしたが「モノが作れない!」とお嘆きの方はぜひ私のところへお尋ねください → プログラミングをやろうよ!

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