ゆとりの欠点。言葉を瞬間的に飲み込めないこと。

ゆとりはまるっと覚えるのが苦手?

結局のところ人によると言われればそれまでだが…

とあるだいぶ年上の人にゆとり世代の若者を紹介したところ言われたことがある。

「(ゆとり世代の彼は)言ったことをそのまま覚えてくればいいんだけど、自分なりに解釈し直さないと理解ができないようなんだ」その出来事を”ゆとりの特徴”と言われて、私はドキリとしたことを告白する。

そう言えば、私も聞いたまま読んだままに記憶して、それを活用するというのがとても下手な人間である。1度言われたことを、紙に書いて「ふむふむそういうことか」とでバッキングしてから、自分の理解が正しいか逆から見たり上から見たり離れてみたりして、思ったとおりの形だと納得してようやく飲み込める。

よく効率のいい勉強法について語る時、上の世代はよく口にする「理屈よりもまず、時間をかけてもいいから、すべて記憶してしまえばいいんだよ」そういう詰め込み教育の訓練をしていないからだろうか。

ゆとり教育を受けてきた人にはまずその言葉は理解がデキない(苦笑)。

デバッグして精度が高いかと言えば、別に精度が上がるわけでもないので、結局のところ時間を掛けても成果は出にくい。最悪だ。出されたものを、そのまま頭に入れておくことが、私は極めて下手です。

ああ、これってゆとりの特徴だったのですね、と改めて自覚した。

他人のことを言われているのに、なんだか自分がガッカリした。

あたまがいいの定義

私は頭が悪いと思う。瞬時に物事を判断するのも下手だし、記憶力も良くない。それは換言すれば、ボキャブラリもないということ。

こうしてブログを書いているのは、アウトプットすることで、少しでも知識の幅を増やしたいからという理由も1つある。更にもう少し穿って言えば、1度時間をかけて取り組んで覚えた成果を、残しておきたいからにほかならない。自分が書いたことを残しておきたい性格である。そういう残し癖は女性よりも男性に多いらしい。あまりよくない癖だと思う。(まあ、そのくせ捨てる時は一気に捨てるんですが)

では、話を戻すが、あたまがいいというのはどういう状態を言うのだろうか?

頭の悪い自分の逆ができることを頭がいいと思うわけです。私は人の話が分からない、理解に時間がかかり、自分の言葉として使えるようになかなかならない。つまり、私が考える頭がいいということの定義は、人の話を聞いて、そのまま理解して、言葉をすぐ自分のモノとして使えるということ。

たまに意識的にやってみるけれど、下手するとカッコ悪くしどろもどろになりがち。あなたの話を聞いています!アピールなのだろうか?よくデキる営業マンがやるテクニックな気がする。サラッとやってのける営業マンがたまにいる。とてもカッコいいし、こちらの言い分をきちんと理解してくれているんだろうなあと感心する。

練習はするがマイペースが一番

気を取り直して考えてみると…まるっと情報を覚えてそのまま使うことは、それが苦手であれば練習としてできるようになるべきことだと思う。なので上でも書いたが、意識的にやってみている。とくにゆとり世代で、情報のリアルタイム理解を経てすぐに情報の活用するのが下手な人は、どんどん練習すべきだと思う。社会に出るとそういうことができる人のほうが成果が出せる。そういう意味でも出遅れているゆとり世代は損なのかもしれない。

インプットしてアウトプットすることは、学習の基本かもしれないが、そのインプットの時間とアウトプットの時間を高速化することは効率的によい。間違えてもすぐに訂正して、繰り返すことで身についていくのだろう。さっき聞いた話をインプットして数秒の間に即興で要約してアウトプット。このような頭の使い方を意識的に行いたい。

ただし、せかせかと実践しても成果が感じられなかったり逆にストレスになるなら無理をしないほうがいい。ストレスになることが、一番よくないから。じっくり考えて身につける「ゆとり教育」的な観点で物事を考えることもけして無駄ではない(と信じたい)。

徒然草2.0
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