キャンプはキャンプ場でやらないといけない。
人や国が保有している土地でテントを張っていたら所有者に追い出されるだろう。
…まあ、至極当たり前な話である。
自転車で旅をしたり登山をしていた時に、山中や河川敷などで野営する時がある。
そんな時は、なるべく薄暗くなってから寝床をつくってすぐに寝て、日の出前か日が登って早いうちに退去している。だから、誰からも文句は言われたことはないが、これもマナー違反であることは重々承知している。無計画に道を突き進んで、しかたがないからビバークしているだけだが、そんなことには土地の所有者には関係がないことで、所有者からしたら突然の異邦人が到来したことに不愉快しか感じないことだろう。だから野宿はなかなか気を使う所作であるといえる。
私としては自由に行きたいところに行っているつもりだが、私が歩いたり寝たりしているその地面は国家や他人の所有物でしかない。野宿は違法といえば違法であるから、他人の権利を犯しながら床に就くのはまったくいい気持ちではない。トイレがないと○○することにならざるを得ず、トイレが基本的に必要。公園や駅を利用することになるが、これも地域住民からしたら迷惑意外の何ものでもないので罪悪感が付きまとう。
(こんな考えのある野宿している人は、私以外にいるんだろうか?そういう人はそもそも野宿は絶対にしないのだろうか?)
我が国には7割の山林があるのに、そこへ分け入って瞑想でもしていたら、不法侵入者になってしまうのだ。
こんな不自由なことはないではないか…とも思う。
他人の土地に一夜の寝床も許されていないのか。
静かな夜に誰もこない静寂の空間にも、そこには所有者というものがいる。
「俺の土地だ」という人が現れでもしたら「異邦人」は静かに去るしかない。。
私は、ただ自然の中で過ごしたいという願望があるのだが、そういうことができる場所はとても限られている。
これはとても当たり前な話だが、私からすれば不思議な事だ。
そうだ、それならば、自分を所有する土地があれば誰も文句は言えまい。
最近、そういう思いがむくむくと生まれてきている。
余談だが、私の政治的な性分?はアナーキストということにしている。アナーキストの父であるプルードンの主張「所有とは窃盗である」というのは腑に落ちる。そういうアナーキーな観点から、本当は土地を所有したいという気は本当はない。ただ原状回復できるような使い方をするので自然の中で過ごす場所を貸してもらいたいだけなのだ。人に貸してもらうというよりも、自然に貸してもらって自然へ返すという、しごく当たり前なことを手続きを踏まずにできることが理想だ。だが、すべて法律で縛られているこの国で許されていない。必ず所有者なるものがいる。
「テント建てるので貸してください」というのも所有者からすると気持ちよくないことだろう。
きちんと社会的な責任をとった上でやるという意味では、所有してしまうのが一番早いと思っている。
したがって、なんだか矛盾した言い方になるが、、、上記を踏まえて消極的に土地を所有しようという意欲が強まっている。
そんなわけで所有することに極めて消極的だが、いたしかたなく我が国の法を犯すこと無く、いかに自分の自然の中で生活をしたいという望みを叶えるか?ということに時間をかけてシフトしていく。
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