ウチで飼っていた黒猫のムサシくん(♂)が亡くなった。命日は2019年2月2日なので、にゃんにゃんの日。猫エイズ陽性の元野良猫をNPOの動物保護団体からもらってきた。年齢は野良の時代があるためハッキリしないが、6,7歳だと思われる。人間にすると、40か50…と考えれば、自分より長生きしたということになるだろうか。それなら大往生かもしれない。
性格はおとなしい子だった。玄関のドアを開けても外の世界が恐怖が強くて逃げる様子もなかった、他の猫と飼育すると一番弱いポジションになるタイプで、とても臆病な猫だった。
食い意地はあまり張らないくせに、夜中に美味しいものを探すのが日課。冷蔵庫の上などにも登ったり、わりとアクティブになるが、基本的にいろいろなことに対して控えめだった。人に撫でられるのがわりと好きだけど、抱きかかえられるのは怖いらしく嫌がる。死ぬ数ヶ月前から食欲がなくなり毛並みが悪くなった。死ぬ2週間ぐらい前から固形餌を食べなくなった。
もともと数年前に牙が1本根本から抜けた。歯槽膿漏というレベルじゃない感じ。その時、ペット用の歯医者に行くことも考えたが、牙が抜けたら野生では死を意味するし、余計なことはしなくてよいと思った。そのまま餌がたべられなくなり死ぬかもしれないと思ったが、そうすぐに弱っていくことはなかった。
2週間前、ドライフードの餌を食べなくなってから、いろいろと試してみたが、最終的には銀のスプーンやチャオちゅーるというスムージーなフードしか食べなくなった。食べなくては死ぬというくだんになっても、もともと食い意地がないためか、食べる気配があまりない。それがかえって痛々しい感じがしたが、自らが進んで食べないのだから、しかたがないと思った。水を飲まなくなってから、だいたい2日。あまり鳴き声も上げず、静かに息をひきとった。
獣医に連れて行って点滴を打てば一時的に良くなるが、犬や猫を飼っていた経験から無駄な延命治療だということはよく分かっていたので、無理に延命させようと言う気がまったくなかった。静かに息を引き取る生き物を無理に生きさせる道理なんて飼い主にはないんではないかと。この辺の話って愛猫家に通じるんだろうか?ということが疑問だったりする。
これは人間においても同じことで、自分で生きられなくなったら、管を抜きとって死ぬほうがよいと思うのだ。死ぬ間際の数ヶ月をどうにか生きるよりも、健康である今を1日1日大切に生きることのほうが、どれだけ有意義なことでしょうか。
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