むかし中学生ぐらいに国語の教科書に書いてあった、重松清が著した話を読んで「共感ができる」という意味で「面白い」と思った。
かなり人を選ぶ小説だと思うのだ…なぜなら、重松清はすごい!という話をあまり誰かと真剣にしたことがない。
そもそも自分の心に潜む葛藤というか、じくじくと痛む古傷(むかしは、リアルタイムで痛む鮮血がにじむ傷)をこれでもか!と突き刺すかのような、一人で読んで染み入るような話ばかりだからだろう。
そもそも重松清が嫌いという人も結構じぶんの周りにはいる印象だった。
ああそうだ。中島みゆきが嫌いという人もいるようだ。
きっとそういう人は重松清も読めない。
悲劇のナルシストでフィクショナルな思考回路だと思う人もいるらしい。
読んでい浸っている方としては、そうではないつもりなのだが…
いずれにしても、きれいに好きか嫌いかはっきり分かれる作風だと思う。
そんな感覚的な「覚え」が重松清の著書全体に抱いている印象なのだが…それって今もそう感じるのかな?と思って、
ふと図書館にあった薄くて文字が大きい「きみの町で」を読んでみた。
むかし思ったほどに「重い」という感じなくなってしまった気がする。
とはいえ超重松ではないにしても、中重松くらいの重さは予想に反してあって、軽松ではなかった。
前知識はないが「あ、重松清っぽい」という本で小学生高学年向けの内容になっている。
どうやら哲学的な内容になっているようで、善悪やら、公平や義務、生と死。
そんな誰もが一度は思案する(と思われる)内容になっている。
いつしか、この手の思案をしなくなっている自分に気がつくが、
こどものころはころはそういったことが深刻な問題だったということを思い出した。
今は仕事でのメンツと財布の中の事情やら、あとは自分の健康や家族の将来ぐらいしか興味がない。
いいやそれは体の良い嘘かもしれない。
自分が何者でもないことに悩む10代の時と比べて、
現在は仕事と家庭を通して自分が何者であるかを捉えているが、
中年がそういったものから1度解き放されたとしたら、
それは子ども以上に可能性の扉が閉じられていて大変なのかも知れないな…
って、もはや重松清の小説の話からは其れてしまったが、それだけ大人も考えさせられる内容が詰まっていて、
短編の集まりですぐ読めるのに感慨深いものがある作品だった。
こういった分かりやすい構成でさらっとお話が作れる人は小並感ではあるが「すごい」と思う。
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