歴史能力検定の勉強メモ
・13代将軍である徳川家定の跡継ぎを巡って、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)を擁する一橋派と徳川慶福(とくがわよしとみ)を擁する南紀派で争いを行った。この政治的な争いを将軍継嗣問題(しょうぐんけいしもんだい)という。
※慶福(よしとみ)って読めない…。
※一橋慶喜は最後の将軍である徳川慶喜のことかな?下の名前が同じだし…と思って調べてみたところ同じ人だった。11歳の時に一橋家に養子に出された(養子と言っても、一橋という名字は徳川家の通称のようなもの)。
※ちなみに最後の徳川慶喜は15代将軍。将軍継嗣問題は結果的に14代将軍は、徳川慶福が家茂(いえもち)という名前に変わって14代将軍になった。
※南紀派は譜代大名である井伊直弼ら。
※一橋派は水戸斉昭の子どもで島津斉彬や山内豊信や松平慶永らである。
※若い慶福の方が将軍としては扱いやすく、慶喜の方が能力があり将軍にふさわしいと思われていた。
※徳川家茂(とくがわいえもち)は21歳で虫歯が原因で病気になり若くて死んでしまったらしい。そんなことで死ぬの?暗殺されたという説が濃厚なのでは。ただ将軍になる前から廃人だったらしいが。。
※徳川家茂は慶喜の見た目がカッコいいので嫌っていたw「家定は「自分より慶喜の方が美形で慶喜が登城すると大奥が騒ぐ」という理由で慶喜に反感を抱いていた」とはいえ家定も大奥に人気で美男子だったそうだ。
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