※だいぶ前に投稿し忘れていたものを投稿してみる。
ウォーキング・デッドのシーズン10に出てきたプリンセスという女性キャラをふと思い出します…
幻覚に常日頃から悩まされているプリンセスの描写は他のPTSD患者達と明らかに違います。
なんというか、面白いというか、とてもリアリティがありました。
で、シーズン10はいい意味でカオス化していった気がします。幻覚と現実が入り混じりすぎて何がなんだか分からない。
プリンセスの前に現れて謎の組織に捉えられ、ゆみことユージーンとエゼキエルが生きているのか死んでいるのか、わからない。
(おそらく、最後の場面が全員にとってのリアルなので、3人はまだ生きていて…3人を救えるかどうかはプリンセスの行動次第になるわけですが)
ストーリー全体を通して言えばプリンセスにとって、現実と幻覚の区別がつけられにくい状態だったわけですが…私が見ているモノホンの幻覚もそれに似ているな、と。
死んだ人が目の前に現れてくれれば、それが亡霊なのだと私達は誰しもすぐに分かるものです。
ウォーキング・デッドの他のメンバーのPTSDの多くは亡霊との対話でした。
おかしな夢を見た人がいれば、現実にはないモノだとすぐに分かります。
「おかしな夢」を定義することが出来ている時点で「確かな現実」が定義できているということです。
亡霊しか現れない場合は、あまり大きな問題は起きません。
厄介なのは、生霊の方です。
生霊とは何なのかというと、現実に生きている人、とくに身の回りで生活に接している人が幻覚として現れて、
現実離れしたことに加えて、現実離れしていないことも言ってくる…ということ。
そうしたら、怖くないですか?
例えば、夢の中で優しくおはようと言ってくるボーイフレンドが、現実で思いっきりぶっ叩いてきたら一体どっちを信じればいいのでしょうか?みたいな話です。
人は信じたい方を信じる傾向があるので、優しいボーイフレンドの方を信じます。
(その人にとっての)リアリティは結局のところ、その人の信念がつくるのであり、客観的な証拠がつくるのではりません。
みんなが「あんな暴力をふるうボーイフレンドと別れなよ」と言っても、優しいボーイフレンドがその人のリアリティ。
ただ、これだけだと、普通は「幻覚」とは呼びません。
暴力主義者のボーイフレンドと別れられなくなるのは、実世間でも普通に観察することができる、非常に分かりやすい例です。
ダメ男としか付き合えない女みたいなのも、一種の過去の因果に囚われているので私からすれば生霊に囚われている例ではありますが、
(私が)それはあんたが見ている「幻覚」だよと言ってみても、まったく会話にならないばかりか”頭がおかしいやつ”とレッテルを貼られるでしょうが。
過去の記憶=過去の像が生じさせる心的作用を信じるという意味では、十二分に虚像に振り回されていると、私は思うんですが。
じゃ、こうしたらどうでしょうか?(別に思考実験をしているわけではなく、幻覚の現れ方で認識結果が変わるということの説明のために例を出しています)
生霊に加えて亡霊なんかが出てくると、現実が現実離れする逆転現象(と私は読んでいます)がもっとカオスで楽しい感じがに起こります。
現実と幻想の区別がつけられなくなると…結果として見ているものすべてが幻想になります。
極端なことを言えば、スープに汚水を1滴いれたら、スープがすべて汚水になってしまう。
ただ現実という汚水があるだけになって、スープを探し出すことなんかとうに諦めて、ただただ汚水を啜っている状態になるわけです。
言ってもいないことを言ったとか、言ったことを言っていないという人がいたら、
関わらないでいたほうがいいと同時に「生霊と亡霊にやられたんだな」という言葉でしか、
その人とのコミュニケーション障害を説明できない。
「ボタンの掛け間違い」なんていう、後戻り可能なやわな認識ではない状態になってしまっている。
そういう人は生霊と亡霊の両方が現れているので、客観的根拠を提示する以前の問題で会話が成立しない。
(全体的に仮説であり言葉の定義がそもそも他人が読める状態で定義ができていないのですが、まとめると…)
人は合理的(論理的)に幻覚と現実と区別して整合性をとろうとするものである。
(したがって、論理性を司る壊れている場合は例外として、これから述べるパターンはそもそも成立しないが)
人の眼の前に現れる他者の幻覚には大きく3つのパターンがあり、それぞれ意味(というか今後のストーリー)が異なってくる。
1.亡霊が現れる。
2.生霊が現れる。
3.亡霊と生霊が現れる。
P.S.)ちょっと何を言っているのかわからなくなったので、このへんで亡霊と生霊について語るのをやめる。
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