「【戯言】属人性の排除と自己疎外 | ごみぶろぐ」などというようなことを、自分の言葉で書いてみたのだが…。
属人性の排除という神話は、その人のとある確信によって生まれるものだ…と思う。
それは「自分の仕事は他人に代替可能である」という確信である。
自分の仕事は結局のところ他人ができることに過ぎない。
だから、属人性の排除が可能であるという結論に至るに違いない。
私も何がしかのシステムをスクラッチで開発していると、手離れがいいように自分に属人化しないようにしようなどと、色っぽくなる。
色っぽくなるというのは、人様に見せても恥ずかしくないようにしておこう。
説明ができるようにプレゼンの脳内シミュレーションしておこうみたいな。
つまるところ、言い訳がましくなる。
たしかにそうかもしれないけど、未来に属人化しすぎたことによる弊害を少しでも取り除いておこうというのは、なんとなく適当に作っていたシステムが本番稼働してリプレイスが困難になれば、自分のおごりとしてではなく現実的は、やはり「属人化は排除すべきだ」という確信に至るだろう(やはり考えてみると過去にプロトタイプが本番に使われるなんてことは、特にWebシステムではよくある話だから)
…ということで属人化を嫌う姿勢は、私が考えうる2つの条件が揃うことで生まれるのではないか。
自分の仕事は代替可能であるにも関わらず私がリリースしたプロトタイプがそのままメインに使われてバグを連発し生産性を限りなく下げ続けている「自分しかわからない」(属人化する)ことによって「自分の労力がかかり続ける」そして、それは「そのシステムを運用する企業のコスト」になる。
属人化絶対ダメ!
属人化カッコ悪い。
こちらは情報処理推進機甲(?)でした。
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