だいぶ以前から思っていたことですが…
例えば、花王のバブをお風呂にいつも1個いれるところ…10個いれたらどうなるのかなぁ???
みたいな動画を検索すると…100個いれてたり1000個いれていたりする動画が出てくるわけです。
ちょっと大げさなことをしてみる!という小学生的妄想が、、
もうすでに先行者がいるyoutube。
現代はそういうバカなことをやる意味がなくなってしまいました。
この状況を指して、私たちは賢くなったと言えるのでしょうか???
…そして、何らかの特殊な行いは、すでに誰かが自分よりも面白く遊んでしまっている…じゃ、自分はそれで遊ぶ必要ないか…ということにもつながってしまうのではないか。自分が単に「大人だから」ならば、それはそれまでの話なのかもしれないけど…ひとりで何の情報もなしに「やってみる」という楽しみがyoutuberのせいで無くなった気がする。
ゲームの実況動画もやらずしてストーリーが分かってしまうので、自分でやる必要がなくなっちゃった。
…ってなってしまっている。
ヒカキンやはじめしゃちょーならまだしも「パパが子どものためにおもちゃレビューするぞ」みたいな動画もあるのだが、いやいやあんたに先に遊ばれたら楽しさ半減どころの騒ぎじゃない。おもちゃで遊ぶという行為が、90%以下に逓減する気がしますけど。幸い、そのような動画に出てくるこどもは楽しそうに遊んではいますけど…
そんなことに本当に意義を感じているの?その感性が、よく分からない。
「本人が楽しくてやっている」でいいじゃないですか…と思ってしまいます。
自分がひねくれているのでしょうか?
おもちゃにせよTVゲームにせよ小学生的な実験にせよ、未知のトライがつまらない時代になってしまったなぁ。
これって、あまりよくないことなんじゃないかな。
おしまい。
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