まあ、読んで表題のごとし、10か条だけを読んでいればだいたい著者のいいたいことは分かる構成になっている。
私たちはインターネットを使うことで企業が用意したアルゴリズムに操られている。インターネットもアルゴリズムも、所詮はプログラミングされたソフトウェア=道具に過ぎないので、それらに使われるのではなくぜひ使う人になりましょう的な話で、なにか大げさにアレルギー反応を覚醒させてくれるような内容ではない。
ちなみに、ネット社会で生きる10か条とは「常時オンはやめよう」「相手に向き合って生きる」「示された選択肢から選ばなくてもよい」「完全にただしいということはありえない」「誰にでも合うフリーサイズなど存在しない」「匿名ではない自分自身として生きる」「友人を売り渡してはならない」「真実を語ろう」「登用するのではなく共有する」「プログラムされるかプログラムするか」です。
そういえばTwitter(X)はイーロン・マスクが買い取ったがアルゴリズムは前よりも過激なものが目につくようになった。ブロックしているのにブロックされている投稿が人気なら眼の前にでてきたりして、嫌なものを隠すことすら自律的にできなくなっている。ドイツなどの欧州は教育の機関からXを締め出す動きがある。Xは情報の即時性のみを提供してくれれば良いのだが、余計なアルゴリズムで私たちに不要な情報を与えてくる。いいとこ取りが難しいSNSになってしまった。
個人的にはアルゴリズムにせよAIにせようまく使い極限まで自己と融合させよ!と思うのだが、自分の興味がある本から興味のない本に目を通しては、誰も読まないブログを更新しているのは私が自分の中の多言世界を自覚的に保っておきたいからだろう。
Instagramのショート動画なんてその典型的なもので感覚的にはTiktokより表現がえげつない気がする。自分のもっとも興味深いもので溢れている…まあただ別にクリックして見たくなるものが本当に自分が欲しいものではない。流されるというかある意味でアルゴリズムの結果を取り込むことに意味はあると思うのだが、アルゴリズムとどのように関わるかの取捨選択は必要だと思った。
というわけであんま考えたことはなかった。自分がプログラミングができるということがAIやアルゴリズムな社会から一歩下がって見渡せる視点を持っているということに気がついた。アルゴリズムを使いこなすためにプログラミングをするなり素養を持つことが大切になってきているのかもしれない。
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