雑感
アフォリズム的な作品で、とても見やすくて感慨深い話だった。
ちなみに、少しだけどういう作品か、検索して出てきたとあるブロガーさんの感想を読んでいたが、それ以外は前提となる知識を全くもたずに見ていた。
最初はナッドサット語がわからず調べていた。
最初はとても退屈だった。というか、最後まで退屈だった。ゾッとするとか言っている人もいるけど、どこか?って感じ。
暴力とセ○クスに快楽を見出していた主人公のアレックスに、逆に科学の力を以て、暴力とセ○クスに対して苦痛と吐き気を及ぼすようにすると、いったいどうなるのか?という脳内実験なだけ。最後は政治家たちに利用されるサイコパスなアレックスがなんだか気の毒になってくる。
そういえば「ベートーベンの第九を聞くと自殺したくなる」みたいなネタで、どっかで使われていたっけ。「時計じかけのオレンジ」が、そんなに有名な作品ならば、いつかみないといけないなーと心に引っかかっていたのを思い出して視聴した。
神父と科学者の対話
科学者
「被験者は悪の傾斜をパラドックスとして善に傾く
暴力行為への衝動が強烈な肉体的苦痛を伴います。
それと対処するために彼は正反対の行動に走ります」
神父
「選ぶ能力。本人に選ぶ能力がないじゃないか。
私欲と肉体的苦痛への恐怖が、彼を醜悪な自己卑下に駆り立てるんだ。
そこには誠意のかけらもない、飛行は防げても道徳的選択の能力を奪われた、生き物に過ぎない」
…この辺の道徳VS欲望みたいなのが、ニヒリズムがテーマと言われるところなのかもしれない。
私としては、犯罪とされる行為が快感である者の犯罪行為は、なかなか止められないと思う。
最新の科学や医療や心理学がどう解釈するのかは別として、人は快楽を好んで行動する。
それとは逆に、苦痛や恐怖から逃れる行動力を人は持つ。むしろ、苦痛や恐怖が人間の道徳心を作り出すと私は思っている。アレックスの場合は完全に性格が矯正された様子はなく科学者が言う通りにまだパラドックスが残る。このパラドックスがタイムラグなしに善に導けば完全にアレックスは更生したと言えるのだが、まそうなると人間って一体なんなんだ?という疑問が残る。
我々はただ快楽と恐怖の間で、体のいい理性を捏造しているだけなんじゃないだろうか?
妻をアレックスに殺された作家は、アレックスに怒り心頭しながらも、「モダンボーイの被害者」とアレックスに一定の同情を言葉にしていた。
そういう意味では、とてもアレックスは気の毒だし野性的だし人間的だと思う。
私は逆に神父さんが言う誠意を信じられない。人が快楽と恐怖のバランスをとって動くロボットに過ぎないと思っているので、自分で選び行動する道徳的選択能力というものを課すことの意義をあまり感じにくい類の人間だと思う。何か一定の宗教でも何でもいいが規律があったほうがいいのかもしれないが、それをとりわけ大切にする意義も見いだせない。
そういうわけで私は不誠実な人間で、恐怖を避けて生きている。快楽を求める能力はアレックスほどないものの、アレックス寄りの視点で「時計じかけのオレンジ」を視聴していた気がする。アレックスをリンチしていたホームレスのじいさんや、アレックスのドルーグ(仲間)たちだった連中は嫌い。
※余談:どういうわけか「時計じかけ」という言葉が脳内で機械じかけになってしまう。機械仕掛けのオレンジでも間違ってはいないと思うけど。
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