キリスト教は民族や国家を問わない最大の世界宗教。
父ヨセフと母マリアの間にベツレヘムで生まれナザレで育ったユダヤ人イエスが、預言者ヨハネの洗礼(パブステマ)を受けた後に伝道活動をした。
ユダヤ教のサドカイ派を無視しパリサイ派を批判して、表面的な律法の教えに捕らわれず教えを実践することを説いた(律法の内面化)。
神を(許しの神)(愛の神)と捉えて、神の愛(アガペ)は無差別かつ無条件に万人に向けられた無償の愛であるとし、また民も神に対する愛を持つことを説いた。人を分け隔てなく愛する隣人愛の実践を説いた。
ローマ帝国により捕らえられたイエスはエルサレムのゴルゴダの丘で十字架にかけられて処刑されるが、これを「受難」という。
パウロによりキリスト教が作られる
パウロはイエスの死2年後にパリサイ派のユダヤ教から回心してキリスト教の伝道をおこなった。人間が生まれつき自己中で「原罪」を背負いまた「原罪」を贖うものと説いた(贖罪思想)。人が義を行うのはイエスの福音への信仰によると考えた(信仰義人説)。キリスト教の三元徳として「信仰」「希望」「愛」と説いた。異邦人(外国人)にもキリスト教を説いた(異邦人伝道)。なお、パウロはイエスの直弟子ではない。また、パウロは異邦人の使徒と呼ばれる。パウロが世界宗教になる基礎を築いたが、この頃のキリスト教を「原始キリスト教」と呼ぶ。
ローマでキリスト教が国教に認められる
ローマ帝国のコンスタンティヌス帝はミラノ勅令でキリスト教を公認。ローマ=カトリック教会が成立し勢力を伸ばした。ローマ=カトリックの最高指導者を教皇と呼ぶ。ニケーア公会議でアタナシウス派が正統教義とされ、三位一体説(「神」「神の子イエス」「精霊」を同一とする)が説かれた。ユリアヌス帝は多神教の復興を試みたが失敗。テオドシウス帝はアタナシウス派をローマ帝国の国教とした。教会の権威や神学の確率に貢献した学者を教父と呼日彼らの思想を教父哲学と呼ぶ。
イエスの言葉・聖書の言葉
イエス「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにしなさい」(イエスの黄金律)
「放蕩息子の帰還」「善きサマリア人」などの話がある。