日本の組織は、個人ひいては家族も兵器で殺すので、米国製の映画に共感しかねる

たしか、武士道精神を表しているという「葉隠」にかかれていた話だったと思う。武士の奥方が自らの使命を全うするために、刃物で敵を刺殺した後、その奥方の家族もろとも自害して果てるという、オチもへったくれもない話が印象に残っていて。。。

それが、ふっと頭に湧いた。

アマゾンプライムで見ていて、トゥエンティーフォー -24-を15話くらいまで見ている。物語の軸となるバウワー家とパーマー家が接近していく。ジャック・バウワーとディビッド・パーマーに共通するのは、「家族の絆」である。

彼らは家族を人質にとられて、それでもなんとかテロリスト(というか実際には報復戦を仕掛ける一味)との戦いを切り抜けて行くのだ…バウワーとパーマーは、国家機密機関の命令や大統領選挙という事柄よりも、家族をずっと上位においているということがわかる。

これはある意味で日本では絶対ありえない構図だと私は思っていた。ところが米国製の映画では、もっともよくある話だ。

私はこの辺に前々から違和感をすごく覚える。

日本は個人や家族を犠牲にして組織に忠誠を尽くすことが求められていたしそれが称賛されていた歴史的な背景がある。一方で米国人は組織というか仕事をこなすことを優先するが、それでも理想的に個人ひいては家族を大切にすべきだという理想があるようである。

日本にも「家族を大切にする映画はある」と言う人がいるかもしれないが、仕事や組織と対立の構図を明確に描く米国映画ほどはないと思っている。

今後は日本でもワーク・ライフ・バランスがさけばれ、家族を大切にするお父さんは社会人としても成熟しているという価値観が増していくだろう。

でも、根底的に米国のお父さんと日本のお父さんは、価値観のロジックが等しいかというと若干ちょっと違うのではないかと、思っている。そういった文化的な背景に基づく価値観が、すぐに日本から無くなるかといえばけしてそうではない。

家庭のことは省みず、極限まで個人や家族は隠され、そして組織への貢献的な成果を第一優先する精神性が即ち、日本において武闘集団であり官僚機能も兼ねた武士のそれと結びつけるのは軽薄やもしれないが、個人や家族よりも上位組織を優位に置くのがある種日本人の悪い面であり良い面でもあるのではないか。

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