フリーランスのすすめ。すべき努力とすべきでない努力がある!

すべき努力とすべきでない努力があるのは、人間は誰しも知っていると思うのだが。このことは言い換えると、耐えるべき場面と耐えても無駄な場面がある、と言ってもいいと思う。個人的にはこっちの言い方のほうがすっきりする。

努力という言葉は、自分でいうには心地よいが、他人に言われるとこの上ないくらい不快だ。

私としては、こんな風に言い換えたほうがわかりやすい。

すべき努力とは、継続したら結果が得られる行いのことだと。

そうやって、自分に課すもので辞める時も自分である。

つまり、この問題は換言すれば、継続 or 撤退という問題なのだ。

結果が出ればよいし、結果が出ないなら、ダメ。すぐに諦める。それだけの話なのだ。

だから一般論ではなくて常に持論で語られなければならない。

継続すればできるのに…という他人の発言は自分にとって無意味なものだ。だって、それができれば努力ができなくて悩んでいる人なんていなくなる。

さて…昔からこの話題についてはそんなに簡単じゃないとも思っている。そんでもって、私は、ある一定の見解に気づき始めてきているということを書いておきたい。

結果が出るかどうか本人には分からない

努力が難しい理由は、その努力で結果が出るかどうかの確信を、本人が持っていないことに起因するのではないだろうか。努力しても救われると思っていれば、たとえ今は辛くても努力ができるかもしれない。言い換えれば、結果が出ないと自分が断定した努力を人はできない。

他人はこれで結果が出ると言ったけど、いざやってみると自分には結果が出なさそう、なんてことは、よくある話だと思う。例えば、私の場合は英語学習がうまくいかない。他人のやり方で、いざこれで勉強しようとやってみると、いとも簡単にこれはダメだ!となってしまう。最近、思うのは自分なりのやり方を確立するしかないんだってこと。

英語ができる人に大金はたいて学んでもいいが、英語ができる人に聞くと「大金を使う必要はない」ただ英語を使わねばならない環境にいれば自然と使えるようになると言われた。英語しか使えない環境に身を投じればよく、そういう学習システムもあると言われたが、今のところ時間と金銭の関係でそういうところへ行く機会がない。

人を信じる力が大切なこともある

たぶん、この人についていけば英語ができる!と信じられる先生が、自分にはいなかったことが1つの大きな原因だと思っている。私を指導した先生方には申し訳ないし、別に問題が合ったと言うつもりもないが、英語の先生なるもののイメージが私にとってまったく好ましくない。

でも、逆にこの人から学びたいみたいな人がいれば話は早いと思う。そういう意味では人を信じる力というのは、学習においてとても大切なことだと思う。

熟練指導者者も時に指導に失敗する

さらに、これは大変難しい話だが、先生のやり方が常に正しいとは限らない。99%の人が効果が出る学習法であっても、1%の人の効果がでない方法を課してはダメだと思う。教育者は、その時にその1%の理由へ分け入らなければ、ならない。

逆の立場で、努力する立場で考えてみればわかる。

トレーニングして体を鍛えなければならない時に、例えば腕立てを30回×10セットやれば結果が得られるとしよう。でも、これって継続できるか?と問われれば、私はやる自信がまったくない。

「自分には続けられない」と思っている人に、指導者はそれを続けさせる意味があるのだろうか?

以前に、なんでか忘れたが、ライザップのプロモーション映像を見ていたところ、クライアントの状態や性格に合わせて、トレーニング計画をつくるという内容だった。調べたら出てきた。これだ↓別に見る必要はありませんが。。。

佐藤仁美のビフォーアフター/RIZAP CM

ライザップっていうのは、紋切り型の指導ではなく、マンツーマンレッスンだということに感心した。佐藤仁美という人には特に興味ないとうか、まったく知らない人なのだが、お酒が好きなお○さんらしい。

お酒はトレーニングにおいては悪であることは常識だが、その習慣を必ずしも無くさなくてよいと判断してもらえることは大変素晴らしいと思った。ライザップを体験した人が、ササミしか食べさせてもらえないと言っているのも見たが、どうやらそういうものではないらしい。

ライザップのダイエット=アンチエイジングは、ある種の人にはとても真っ当なサービスを提供していると思った。M&Aを繰り返して、コングロマリットな経営をしているが、経営は人だからまだまだ株価は伸びるかも?

自分なりの勝ちパターンを見つけるしかない

さて話が飛んでしまったのだけど…継続してある物事を行う”努力”なるものの正体についてだが、結局のところ、努力は自分の問題なんだということに行き着く。

これは努力ができないのは、自分の問題だという意味ではない。

自分ができなければ努力は意味がないってこと。そして、一般論は自分には通用しない(一般論は通用するかもしれないし通用しないかもしれない)。つまり、一般に努力なるものを継続できるという、確信や持論を持つことを以外に方法論はない。

私は物事を戦いに例えることをよくする。

物事には「たたかう」か「にげる」しかないと思う。ドラゴンクエストの戦闘コマンドと一緒である。たたかえる確信は、勝ちてそうだというときにとれる行動だ。ああ、なにか物事を習得したいならば「これならできるかもしれない」という、何かをつかむことがまず大切です。

努力が勝手にできる人はそれでいいけど、なぜか努力ができない人は「やり方が間違っている」その理由は先にも何度も述べたが、自分のやり方が確立できていない。

そういう人へ、私は努力ができるようになるヒントというか、切っ掛けを教えてあげることができるでしょう。

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