「覚めている」には「冷静である」という意味があり、つまり「冷めている」と近い。なぜこの二つは同じ音なのだろう。単なる偶然ではなく、やはり何かしらの関連があるのだろうか。
自分がコンピュータの仕事を始めたのは、「こんな世の中になるはずだ」という予見があったからではない。結果として、今のところ生き残って仕事もしているのだから、選択としてはまーまー間違っていなかったらしい。
ただ、「コンピュータさえやっていけば食いっぱぐれない」という時代ではなくなってきそうな予感はある。それでも、コンピュータの知識そのものは必要だし、AI時代になっても当面は変わらないだろう。シンギュラリティの正確な定義は知らないが、仮にフィジカルAIが全盛になったとしても、情報技術の本質を理解していることは、現代人にとっての必須科目であり続けるのではないか。
最近では哲学科が人気だという話も聞く。物事の本質を理解するという意味では、AIもまた汎用的な知性の一部なのだろう。
一方、アメリカでは「コンピュータ・サイエンスはもう儲からない」として、そこから離れていく動きがあるらしい。だが、なんだか安直すぎる気がする。コンピュータ・サイエンスを捨てるのではなく、そこから横に展開して、別のキャリアを歩むという発想はないのだろうか。あるいは、日本ほどそれが容易ではないということなのだろうか。
安直ではあるが、自分の現状認識として、ずっと変わっていないことが二つある。
(1)日本・世界は終わっている。
(2)個人最適化でしか生存できない。
無能な個人に全体最適化は不可能なので、個人最適化でしか生きられないだろう。この考えにはエゴイスティックでニヒリスティックなところがあることも認める。お世辞にも、繕ってカッコよく見せられるような思想ではない。
理想的ではない。したがって、最適解でもない。
積極的な思想というより、消極的な生存戦略である。
そんな自分がIT業界で働いてきて、特に驚いた変化が二つある。
(1)AWS
(2)AI(LLM)
AWSを衝撃的な変化だと思っているITエンジニアは、もしかすると当たり前なものになり過ぎてさほど多くないのかもしれない。だが、自分はAWSをはじめ、Google Appsなどのクラウドサービスが出てきたころ、「こんなものは流行らないだろう」と思っていた。
サーバーインフラは保守的な世界であり、国内のデータセンターで安定稼働させるのが基本だと思っていたからだ。ところが、今やガバメントクラウドまでAWSなどの巨大クラウド事業者が担っている。オンプレにこだわっている企業なんて聞かないし聞いたところで(ITエンジニアからすると)化石みたいな扱いだ。
「ガバメントクラウドまでAWSで大丈夫なのか?」とは思う。防衛系など一部のシステムについては、国内事業者なり外資ではないところが運用しているのだろうと思うが、その実態を調べる方法はよくわからない。
ただ、少なくとも自分が想像していたよりも、「国内のデータセンターでサーバーを運用する」という領域はずっと狭い一角になってしまった印象だ。
2030年ごろには、日本のデジタル赤字が4兆円規模から10兆円規模になるという話もある。デジタル赤字を取り戻すために国内データセンターの活用を進めるべきだと、マルクス主義者の斎藤幸平も述べている。だが、こうした主張はずーっと以前からあったはずなのに、いつの間にか完全に押し流されて、気づけば日本は大きく出遅れている。
「これはNTTデータをはじめ、さくらサーバーなどのサーバーインフラ系銘柄が爆上がりするのでは」と思ったりもしたが、株価は思ったほど上がらず、今に至っている。
日本は、植民地的な状況から脱却するチャンスがいくらでもあったのに、それを自ら捨ててきた国家であり国民の集合なので…それを国民の一部であれこれ言って一体どうなるのか。偉そうに語っただけで愛国者=いい人の演出だとは言いたくないが(まあ、言われたことがあるが)そうして偏見を助長して冷めているのってカッコ悪いとは思うのだけど、他に解決する方法がわからず皮肉にも黙るより他にない。
1つ言えることは、機を待てってことかなぁ。。。

コメント